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2021年6月2日水曜日

「アグー豚」の復活物語

 

沖縄では、豚は「鳴き声以外すべて食べる」と言われるくらいそのすべてを愛し、食べつくす習慣があります。

沖縄と豚とのかかわりは古く、貝塚時代の遺跡からも豚らしき骨が発掘されています。

その骨がアグー豚かは、分かっていません。


アグー豚のルーツ

14世紀に中国の職能集団が持ち込んだのが、「島豚」と呼ばれて広まったという説が有力。

久米三十六姓という、進貢貿易の仲介役として琉球に移り住んだ中国人の職能集団とか。

粗食に耐え小ぶりで育てやすかったためか、肉質が良くおいしかったためか、各家の庭やのき下で飼われていたそう。

大晦日につぶして、豚肉で新年を祝った後、長期保存のために塩漬けにしたとか。何かのお祝いの時に食べるという習慣は、今でも沖縄の地方により残っていたりするのだそう。


アグー豚の激減

そんなウチナンチュ(沖縄県民)から愛されている「島豚」(アグー豚)が、激減する原因が何度もありました。

  • 廃藩置県後、成長早く体の大きい西洋豚と交配が図られた。(経済的に有利という理由から雑種化が進められた。)
  • 戦争(第2次世界大戦)による影響
  • 豚コレラの発生
  • 食糧難を救おうと、ハワイの県人会が350頭の西洋豚を送ってくれた。(経済的に有利な西洋豚に流れていった。)


アグー豚の復活

1981年から、アグー豚の保存活動が始まったとのことですが、きっかけは名護博物館初代館長の島袋正敏さん。

名護博物館の構想にあたり、1971年から資料収集を行い、沖縄の財産が失われつつあることに危機感をもったのです。

その後本格的に保存活動に乗り出し、アグー豚の調査が始まった1981年には、県内でわずか30頭にまで減っていました。

そのうちの18頭を集めてきてからも、すぐに復活というわけにはいきませんでした。

博物館で飼うわけにもいかず、公的団体からはこんな豚をどうするとつまはじきにされ…そんな時に現れた協力者が、北部農林高校の太田先生だったのです。


戻し交配による在来琉球アグー豚の復活に向けての活動がようやく始まったのは、昭和59年、西暦にして1984年のことです。
それから約10年かけ、戦前に近い在来琉球アグー豚が復元されたのが1993年です。

そこから、有志の酪農家たちに広がっていき、2005年には沖縄県が在来琉球アグー豚の確認登録やブランド整備を始めることに。


アグー豚の復活を願う熱い男たちがいたからこそ、復活した在来琉球アグー豚。

とても貴重で、とても手のかかる、そしてとても甘くて美味しいアグー豚。

是非とも、胸を熱くして食べてほしいです。

豚に物語あり。

まだまだ続く物語にしていきましょう。

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